クリスティアン・ラーのブログ


各種の魂の繋がりについて、はっきりさせたいと思います。

各種の魂の繋がりについて、はっきりさせたいと思います。


ソウルメイトやツインソウルに関して、世間ではたくさんの誤解が生じているようです。
ここで、それぞれがどんなものなのか、本質的なところを明らかにしたいと思います。


よく皆さんから「私はどうしたらツインソウルに会えますか」と質問されます。
答えは「あなたはツインソウルには会いません」です。いわゆるツインソウルと言うのは、自分自身の魂の一つの「顔」(アスペクト)です。物理的領域では(=身体を持っている間は)、自分の魂の他の顔に会うようにはデザインされていません。

実際のところ、あなたの魂は最大で12の顔を持ち得ます。言い換えると、あなたは最多の場合は11のツインソウルを持つ可能性があると言うことです。持っている可能性があると言ったのはそんなにたくさんの顔を持つ魂ばかりではないからです。

魂の本質は、経験を集めるということに尽きます。
そのため魂はいくつもの顔にわかれて、より多くの経験を集めようとするのです。たとえば、あなたの魂の一つの顔は別次元にいることもありますし、もう一つの顔はこの地球にいて、別の顔は他の星にいる、かもしれない、ということです。それぞれの顔はお互いの存在を知らないまま経験を集めているのです。そうして集めた経験のすべてが、一つの魂の糧となります。
あなたという魂の本質は、あらゆる形の経験を通じて拡大していくというものなのです。

 

ではここで、ソウルメイトについてお話しましょう。
ソウルメイトというのは、この世に一つしかいません。その魂とは、あなたはいろいろな生で形を変えて、何度も何度も会います。あなたのソウルメイトは独自の魂ですが、あなた自身の鏡像(ミラーイメージ)です。物理的に対称ということではなく、エネルギー的に対称だということですが。
地球で会いましょう、というお互いの合意をしている場合は、二人は会うでしょう。合意のあるケースもあるし、ないケースもあります。あなたは常に、自分の発展のために何が最適なのかに基づいて賢明な決定をしています。
なお、多くの人が、このソウルメイトをツインソウルと呼んでいるようです。
ソウルメイトに会いたいという気持ちがとても強い場合、それは地球で出会う合意があるというサインである可能性があります。

多くの方の期待に反して、ソウルメイトは必ずしも異性ではありません。
前述のように、ソウルメイト同士はお互いをいろいろな形で経験してみたいものなのです。ですから、あなたのお子さんだったり、親友だったり、お父さんだったり、お母さんだったり…といろいろです。
何らかの形でソウルメイトに会った場合、他の誰とも経験できない深さと親しさが生じます。会った瞬間に感じるとは限らず、知り合ってから長い間ソウルメイトの繋がりを感じないこともあります。
同時に、全ての人間の繋がりでこれほどチャレンジの多い関係性はありません。二人ともがお互いとともに学び成長する、という強い気持ちを持ち続ける必要があります。問題が起きたら「くさいものに蓋」にはできない間柄なのです。二人の間に起きるすべてのことに光を当てる必要があります。学びと拡大が鍵です。そうでないと、二人の距離が大きく開いてしまい「ひとつ」に戻るには多大な努力が必要です。とてもとても美しく、そしてチャレンジングなとき。
ソウルメイトに会うとそういうことがあなたを待っています。

 

ソウルファミリーというのも、魂の世界の一つの側面です。自分と同じ魂のグループの出身者に出会うと、そこでもあなたは強い親近感と繋がりを経験するでしょう。
時々皆さんがその出会いで「ソウルメイトに出会った」と信じるのは、その親近感と理解が似ているからです。ただ、似ている、のであって、同じではありません。
深さと「一体」感の程度が同じではないのです。

 

スクロールダウンするとソウルファミリーについて読んで頂けます。

 

自分のソウルファミリーやソウルメイト、ツインソウルの顔についてご興味があれば、ご連絡ください。ムーラムがリーディングで的確な答えをくれることでしょう。

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2018年日本ツアー記

2018年日本ツアー記


日本ツアーの写真はこちら


今年は初めて、年に2回日本を訪問しました。一回目は5-6月の京都・茅ヶ崎でした。主に娘のラウラに日本を紹介したかったからです。娘は日本を大好きになりました。ラウラを帰した後、マリカと私は茅ヶ崎で3週間、個人セッションを行い、期間中たいへん忙しく過ごしました。ほんとうは鎌倉の浄智寺でワークをしたかったのですが、すでに他のイベントが入っていて無理との事でした。
そのために茅ヶ崎という新しいエリアについて多くを知ることになったのですが、毎日観光客で大混雑の鎌倉に比べてどちらかというとのんびりした雰囲気の茅ヶ崎を楽しみました。


しかし、幸運なことに9月末から12月までのツアーのはじめには、浄智寺でのワークが可能になりました。これまでに何年も浄智寺でワークをしてきましたから、なんだか第二の我が家のような気がします。また鎌倉は今なお、日本の中で大好きな地域で、たくさんの寺社のある特別な街、鎌倉に来るたびに、自分はここに属しているという深い感覚を覚えます。
多くの個人セッションのほかに、今回日本で初めての「手放し」のセミナーを行いました。これまで、オンラインでしか提供したことがなかったものです。参加者全員が、人生の足かせになっていた深いものから解放されるのを拝見して、とても嬉しく思いました。
このセミナーは、私のガイド、ムーラムが特に2018年には通年、「手放すこと」がとても重要であると指摘したことから創りだしたものです。2018年のムーラムのメッセージ

日本の多くの方々は、常に自分のことより人のこと、そしてちゃんとした「よい」人と見られるべし、という強い社会的条件づけによって、自己表現をひどく制約されています。
自信がない、びくびく、おずおずしてしまう、いろいろなことが心配で不安になる、などが、往々にしてその結果として見られます。
ですから、日本での私の仕事はリーディング、エネルギーヒーリング、セミナーをするだけではなく、「本来の自分」らしく人生を生きられるようにみなさん一人ひとりを力づけることでもあるのです。日本では、そういう生き方はかなり珍しいです…

セッションやセミナーでの通訳のほかに、マリカは鎌倉でも素晴らしいオーガナイザーぶりを発揮します。マリカはその一人二役をいつも楽しんでいますが、同時にともするとストレスに見舞われます・・・
ある晩、台所でマリカが突然叫び声をあげました。最初はまた蚊にひどく刺されたのかと思いましたが、今回は天井から落ちてきたムカデが肩に落ちて噛んだのでした。毒でそこはみるみる腫れて来ましたが、幸いマリカは毒が広がらないようにするためには熱いお湯でしばらく洗い流すことが大切だと知っていました。後に、アレルギー体質の人は時にアナフィラキシーショックで命を落とすこともあると私は知りました。
私は大慌てでムカデを捕まえようとしましたが、ものすごく動きが速くて捕まえるなんて不可能でした。
鎌倉育ちでムカデをよく知るマリカは、風呂場から殺さないとだめだと大声で言ってきました。しかたなく私はそれをちりとりで叩きました。が、それでは効果がなく、私はムカデが動かなくなるまで何度も叩かなくてはなりませんでした。
こう書いていると、今でも気分が悪くなります…
後に、私たちはムーラムになぜそういうことが起きたのか、尋ねてみました。(マリカは虫に囲まれて育ったにもかかわらずこれまでそうした経験はなかったのです。)
ムーラムの説明では、これには目的があり、マリカがもっと自由に自分の感情をあらわにできるようにするためだった、ということでした。そしてその効果はすぐに目に見えていました。その傷跡は今もはっきりと目に見え、ひょっとすると生涯残るかもしれません。
見るたびに、日本の古い家屋では、常に天井を見て気をつけるように、と思い出させてくれるように…

それに続くように、またチャレンジが生じました。鎌倉での終わりごろ、私の身体がインフルエンザのような症状を呈し始めたのです。
ムーラムのチェックを受けたところ、私の身体は近くの温泉でバクテリアに感染したのだということでした。セッション日の最後の二日は必死で頑張って、なんとかスケジュールをこなして鎌倉を離れ、休養先の湯河原に疲れきって着きました。まもなくして、鎌倉で同じ温泉施設に行ったマリカも同様の症状で倒れました。折角の休暇は、養生に明け暮れることになり、ムーラムがアドバイスしてくれたものをすべて摂取する日々になりました。
おかげで、次の目的地である名古屋に着く前には二人ともかなり回復していました。
このバクテリアによって、免疫の落ちた人が命を落とすこともあると知りました。これからは、源泉かけ流しとうたっていても、ぬる湯でちょろちょろとしかお湯を出していないところは、そういう極小のやつらがいる可能性があるので避けることにします…

名古屋では、以前からのクライアントであるトモコが自分の家を私たちの滞在先として提供してくれました。着いてみると、スペースがたっぷりあって居心地がよいので嬉しい驚きでした。また、トモコはあれこれと私たちがいやすいように心遣いをしてくれ、とてもありがたく思いました。
同じ家にフラットメイトのサチコもおり、私の人生でよくあるように、3人の女性に囲まれる経験に、またしても遭遇することになりました。子どものころの経験と言うものは深く刻みこまれ、似たような状況を引き寄せるのですね…(注:ラーには妹が二人いる。)
ツアーの普段の滞在先では余人はいないので、たくさんのセッションをしながら他の人々と居住を共にするというのは、ちょっとした実験でした。
概ねそれはうまく行きましたし、時には全てをシェアするのはとても面白く楽しかったのですが、時々マリカはへこたれていました。セッションの通訳の一日を終えたあと、仕事はそれで終わらず、好奇心からものすごくたくさんの質問が私に向けられ、それも通訳すことになったからです。私の日本語はまだ拙いもので… マリカが「正気」を保てるようにと、私はしばしば会話から抜けるようにしました。

オーガナイザーで古くからのクライアントでもあるタマエは、細やかに手配や気配りをしてくれました。ちょっとした行き違いはあったものの、ともに働くことは楽しく、実り多いものでした。最初のうち、あまり予約が入らず、タマエは少し心配していましたが、私は、セッションを始めれば口コミですぐに広まると思っていたし、実際そうなり、最終的には多くのセッションができました。
名古屋では、たくさんの興味深い新しいクライアントさんたちに出会いました。中には広島など、遠方から来てくださる方々もありました。日本の方たちはヘルプやガイダンスを受け取るためには、遠路の移動もいとわないというところは素晴らしいと思います。
まる一日の「ハートのヒーリング セミナー」は、中身の濃い充実したものでした。セミナー

参加者の皆さんが、解き放たれる経験をされたのを見て嬉しかったのとともに、私は常に冷静に集中しその瞬間に何が必要なのか知る能力がより強くなっていることを認識しました。そうした内的境地から教えるというのは私にとってとても楽しいものです…
名古屋滞在中に私の60歳の誕生日がありました。それについてはかなり心が揺れていました。なんで自分がこんなに「老いた」んだ?と。これまでの過去生の多くで、私はもっとずっと若くして死んでいましたから、これは私にとってかなり新しい経験なんです。たまたま日本では60歳は生まれ変わりの齢と言われるそうなので、それを信じることにして、自分の瞑想でそれを使いました。すると落ち着かない気持ちから楽しみにするエネルギーに切り替わりました。時には役に立つビリーフもありますね。もちろん、単なるビリーフですが、それでも。

私たちのホストのトモコは大学で宗教学を教えています。ある日、一緒にドライブしている時、私は何の気なしに「あ、自分、君の学生たちに対してトークをするべきだと思うんだ。宗教的信念を持たずして精神世界のことをやっている人間のいい例として。」
トモコはとても自発的で、すぐにその案に賛成しました。名古屋滞在の最後の日に、私は50人の彼女が教える学生たちの前でトークと瞑想誘導を行いました。若い彼らにインプットを与えることができ、そして多くの学生が「忘却のベールをとりはずす瞑想」の実践中にしたとても深い経験をシェアしてくれたことは喜びでした。 瞑想のビデオ


これまで大学で話をしたことはなかったので、私にとってかなりエキサイティングな経験でした。
そのクラスが終わった後、トモコは、この後もう一つクラスがあること、そこでも話をしてもらいたいことを伝えてきました。マリカと私はすぐにその提案に乗り、午後いっぱいを大学で過ごすことになりました。名古屋の最後を飾る完璧な午後でした。

ついで、私にとって8回目の、志摩でのワークが始まりました。志摩は私にとって、いまやもう一つの我が家です。
素敵な田舎で、多くの人は海の幸で生活しています。有名な伊勢神宮からは1時間の所です。とても遠くから、セッションのためと伊勢参りや観光を兼ねて来てくださる方が例年かなりあります。志摩はとても風光明媚なので。

名古屋での忙しい日々のあと志摩に着いて、いつものようにたいへんリラックスできました。 今年もまたありがたいことに友人たちが車を貸してくれたので、かわいい島々に囲まれたあちこちのビーチに行くことができました。
また、マリカの友だちや、自分も長い間知っている方々と再会できたのも、心温まることでした。

志摩でも「手放し」のセミナーを行いましたが、ここでは3時間のセミナーにすることにしていました。
すべてのプロセスをその短時間で行えるかどうか、なかなかのチャレンジでした。
最終的には4時間近くになりましたが、パーフェクトな流れとなりました。
このセミナーでは、多くの涙が流れ、終わったときには全員が明るく輝いているようでした。

すべての日程が終わって、鳥羽の海のそばの宿で2日の休日を過ごしました。おいしい食事を楽しみ、大阪からの帰国便に乗る前にただただリラックスすることができました。

ありがとう、日本!また貴重な経験ができました。また2019年に会いましょう!

 

ムーラムへの感謝状 
-「彼」のチャネラーとして33年

ムーラムへの感謝状  -「彼」のチャネラーとして33年


私はこれまで長い間、ムーラムの叡智を受け取って声に出してみなさんにお伝えしてきました。そしてこれからもなおその旅路は続きます。。。
これまで何千人の方がご自分の人生の旅に関して「彼」のサポートを受けられたか、数えようもありません。私はまだ26歳の時に「彼」のチャネリングを始めたからです。もちろん「彼」は私自身や家族、友人にとっても計り知れないほどの人生の旅路のソースであり、長年のスピリットの友達でもあります。


「彼」が私を『通訳』に選んでくれ、その道の指導をしてくれて、私はほんとうに恵まれていると感じます。「彼」のチャネル以上に充実した仕事は想像することができません。

また、「彼」の存在は、私が生まれ持ったエネルギー・ヒーラーの能力を開花させ、ヒーラーという私の魂の目的のもう一つの重要な側面を生きることを可能にしてくれました。

「彼」のガイダンスは明確で、地に足がついた具体的、実用的なものであり、ほとんどの方にとって理解しやすく、納得しやすいものです。そして「彼」の与えてくれる光(きづき)により、人々は自分自身の内なる智慧と魂の路に繋がり直し、それによって自分の人生の主人公になることが可能になるはずです。


これは、いつでもどんなことに関してもガイダンスをくれる、
そのスピリット・ガイド、ムーラムへの感謝の手紙です。


彼のガイダンスの例をあげてみます。


-人間関係(家族、カップル、職場)の中にある目的を理解できるようにしてくれます。

-自分がなぜこの両親、きょうだいや生まれた環境を選んだのか、を見てくれます。

-特定の人間関係の中の学びや、問題を克服する方法を指摘してくれます。

-自分が選んだ魂の目的とそれを実現するにはどういうステップを踏んだらよいか、また、どういう分野の仕事がその魂の路に沿っているのか、明確な情報をくれます。

-今でも理解することが大切な、また癒す必要のある過去生の詳細を伝えてくれます。

-どのソウル・ファミリーに自分が属するのか、また、その意味を教えてくれます。

-健康問題の根本原因を見つけ、治癒のための自然な方法を具体的に教えてくれます。

-自分に合った食生活やデトックスの方法をアドバイスしてくれます。

-人生の支えになってくれる石や植物を見てくれます。

-家や人に憑いて妨げとなっている霊的存在を発見し、浄化の助けをしてくれます。

-毎年初めに、その年を予見してメッセージをくれます。Messages by Muram

-ささいなことにも答えてくれます。たとえば、物の売り買いの時期。

-引越、旅行、転職の時期。

-起業の相談、ビジネスの発展方法、エネルギー的にビジネスにふさわしい屋号やロゴ。

-行方不明のペットや物の捜索。


「彼」のしてくれることをここに全部書きあげられたとは思いませんが、おそらくよくわかっていただけたのではないかと思います。

私はこれからも、自分自身がスピリットの世界に移行する日まで、「彼」の声であり続けるでしょう。。。


ムーラムについて詳しくはこちら。About Muram

そして体験談はこちら。Testimonials

 

 

2017年のツアーを振り返って

2017年のツアーを振り返って

写真はこちら


今年もツアーは 鎌倉 からでした。

鎌倉は日本の中で私の大好きなところです。
浄智寺は私たちの滞在のために隅から隅まで心を込めて整えられて私たちを待っていました。浄智寺のエネルギーはとても平和です。そして私は畳のある日本家屋が自分にとってとても自然な感じがして、大好きです。
自然、に関してですが、私には一つだけ、問題がありました。ゴキブリ、です。
着いた時にもう、大きな一匹が家の中を走り回っていて、ぞっとしました。
そういうときはマリカが救世主です。彼女は袋を使って、さっと捕まえるのです。
鎌倉でいったい何度、「ゴキブリだ~!」と大声でマリカを呼ばなければならなかったか・・!

鎌倉に着いた二日後にセッションを始めたのですが、それまでにもう予約枠の3分の2がいっぱいになっていました。
最終的には満席になり、毎年お会いする方も、今年初めての方もそれぞれ多く来られました。
いつも、前年に来てくださった方々から「この一年で人生がぐっと向上しました」とご報告を頂くのは嬉しいものです。
 
マリカは通訳としてだけではなく、鎌倉ではオーガナイザーでもあります。
私たちはすでに7回の日本ツアーでともに働き、すばらしいチームとなっています。
そして毎年どんどん流れがよくなっていきます。
 
今年は、若い方々がたくさん来てくださり、上の世代の多くの人と比べての明晰さ、意識の高さを見て私たちはとても嬉しく思いました。
人類全体のこれからに希望が持てると私たちは感じたのです。
 
ほとんどの場合どんなところでも、好ましくない面があるものです。浄智寺では秋は落葉の季節で、庭師たちが掃除のためにすごく大きな音のするブローワーを使っていました。
セッション中に室内でもお互いの声が聞こえないほどだったので、何度か中断してほしいとお願いしなくてはなりませんでした。
静かな環境を求めて来た一般の訪問客の皆さんも迷惑そうにしていました。
のちにご住職にその話をすると、ご住職もなんとかしたいと仰っていました。
以前のクライアントさんの一人にパナソニックの方もあるので、静音ブローワーを発明してくれませんかと話したら、「可能です」ということでした。
来年までに実現していることを願っています。
 
ツアー前に、ハートのバイブレーションを拡張し浄化するための新しいヒーリングを開発しました。
ハートのヒーリングの個人セッションもグループヒーリングのイベントも、大反響を呼びました。
直感でこのヒーリングを行おうと決めたこと、日本で今回初めて実施することができたことを大変嬉しく思います。
常に新しい展開、創造の余地があります…
 
さて、ゴキブリのことでは後日談があります…
ある晩眠れなくて、ゴキブリのグループソウルに語りかけることにしました。
この建物は今は我々の領域であり、侵入者には命の危険がある、ということを強く伝えました。
すると効果があったんです。しばらくゴキブリの姿が見えなくなりました。
ただ、それまでにたまったゴキブリの入った袋が裏口にいくつもありました。
私は殺したくなかったので、近くの雑木林に持って行って放つことにしました。
袋を一つ一つ開けると彼らが飛び出てくるので、勇気を振り絞らなくてはならず、
その時にはものすごく気持ち悪くなるほどでした。
家に戻っても震えが止まらないのです…
それを見たマリカが、どうしてそんなに反応するのかムーラムにチェックしてもらうことを勧め、私たちはムーラムに尋ねました。
鎌倉武士の過去生のほかに、私は今青森と呼ばれる地域での日本での過去生があります。
その過去生のことは知っていましたが、それが私のゴキブリ問題の背景だとは知りませんでした。
ムーラムによれば、そのころ飢饉が起こり、子どもの私は生き延びるために他の選択肢がなく、ゴキブリを食べることを余儀なくされたということでした。
ムーラムが私にその時のイメージを伝えてきて、それを見て私は気持ち悪くなってしまいました。
 
ですが、理由がよくわかったために、私のゴキたちへの感情が大きく変わりました。
鎌倉滞在の最後に私を試すかのように、久々に大きな一匹が台所に出現したのですが、もう嫌悪感はなく、自分で捕まえて自然の中に放つことが楽にできたんです。
いやぁ、ほんとにほっとして、これで次の滞在がより楽しみになりました!
 
鎌倉での丸4週間はあっという間に過ぎ、また荷物をまとめて荷造りし、京都に送る日が来ました。
でもまたセッションを始める前にしっかり休むため、ニュージーランドにいる間にすでに箱根の老舗ホテルを予約してありました。
特に私は昔からチャーリー・チャップリンのファンなので、彼が滞在したホテルということで惹かれたのです。そう、そしてその選択は正解でした。
3日の滞在で充電できて、京都の準備ができました。
 
京都 のセンターに着くと、その会場を所有し、自身の「マグニファイドヒーリング」のセミナーのために使っているマーギーが出迎えてくれました。
町屋を改装したその建物の中に入ると、彼女と夫のコーが創り出した内装の美しさに息をのみました。
ここでワークができるとは、なんという贅沢だろうと…
その晩、私たちは彼らからファンタスティックな歓迎の宴に招待されました。
京都での私たちのオーガナイザー、リエコも一緒でした。
ほんとうに素敵な京都のスタートでした。
リエコは前からの私のクライアントですが、オーガナイザーとして素晴らしく、すべてがスムーズでうまく行きました。
 
予約はかなり入っていましたが、鎌倉のように満席ではなかったので、京都近郊を探索できる数日がありました。
京都にはなんとも美しい寺社が多く、すべてを訪れようと思ったら数週間はかかるでしょう。
日本の素晴らしい匠の技と美は飛びぬけています。
 
通常、私たちは移動日の後、会場設営のために2日をとるのですが、今回京都では、到着の次の日にもう始める必要がありました。
マーギーとコーのほかにも、香港から来ていた何人かの人たちが、2つのセミナーのうちの最初のグループヒーリングと瞑想のセミナーに出席を希望していたうえ、全員が香港に帰る前に組み合わせセッションを申し込んでいたためでした。
セミナーでの、日本と香港、半々の参加者の組み合わせはとても興味深く楽しいものでした。
こうした文化の融合を、私はいつも好ましく思います。
私と香港のつながりが今年はとても強くなったので、来年は香港も訪れてワークをすることに決めました。
再び、新しい経験が私を待っています。。。

京都では、新しい方が多くセッションに来られ、中には遠方からの方々もありました。
日本では数時間かけて来る労をいとわない方が多いことは、私にとってとても新鮮です。
ニュージーランドでは、ふつう、すぐ近くでないとやって来ないのです。
 
京都にも「困った点」がありました。
周りがうるさくて往々にしてストレスだったのです。
真向いが巨大な建設現場だったうえ、大きな中央市場がすぐそばでした。
市場の人たちが常にトロリーで公道まで出て昼夜分かたず走り回っていました。
滞在の最後には私たちはそれで疲れ切り、早く志摩に移動したいと切望するようになりました。
 
都会を離れて、静かな夜、新鮮な海風、目の前には美しい自然という環境に身を置けるのは素晴らしいことです。
ほどなくして、再び 志摩 にいられることによって、私たちは生き返った感じがしました。
志摩には今回が7回目の滞在で、道もお店も全部知っているので、地元民のような感覚です。
それに加えてまた車で移動できるというのも自由度が増した感じがしました。クライアントで友人でもあるサユリさんが、私たちが志摩にいる間はいつも親切に車を貸してくださるのです。
 
クライアントさんのほとんどは長いこと知っている方で、私が帰ってくると暖かく歓迎してくださいます。
また今回は初めて「意識的クリエイト」のトークと瞑想の夕べを実施しました。
私たちは常時創造をしていますが、ふつうは実際には自分が創り出しているのが何なのかわかっておらず、首をかしげています。。。
意識的な創造というのは、それとまったく違うアウェアネス(気づき、理解)の状態からくるもので、私は参加者のみなさんに、自分がほんとうに欲するものを創り出すためのツールをお伝えしました。
このトークと瞑想はとても楽しめましたし、後日のハートのヒーリングのセミナーは、とても感動的でした。個人セッションは例年より低調で、来年は志摩のスケジュールを少し短縮するほうがよいというサインかと思っています。本当はもっと仕事がしたかったです。
 
志摩の日程が終わってから、これまで2回滞在したことのあるリゾートに行きました。
絶景、美しい日没、おいしい食事、プールに温泉。3か月のツアーの最後にふさわしい骨休めができました。
そして「長い白い雲の国」に飛んで帰る日が来ました…
日本よ、2018年の次の訪問まで、さようなら!
 
 

ソウル・ファミリー(魂の家族)とは? - その3

ソウル・ファミリー(魂の家族)とは? - その3

このシリーズでは、私が長い年月で出会ったいろいろなソウル・ファミリーのうちのいくつかについてお話ししていきます。それによって、ご自分がどの家族に属するのかわかってくるかもしれません。そうすると、自分への理解がより深まることでしょう。


ここで語っている各ファミリーのエネルギーの説明は、内面世界と外の世界の両方についてのことです。


UNITER(ユナイター=統一する者)

ユナイターという魂の主なゴールは、自分自身のさまざまな側面すべてを知り、許可する、そして最終的にそれによって内面の統一を経験することです。
この自分発見の旅路の「燃料」は、好奇心です。
ここでとても重要なのが、「善」「悪」のいずれかで自分をジャッジしてしまうことを控える能力です。そうでないと、拒絶する側面が出てきて、内面の分離状態は変わらないままになってしまいます。
ユナイターたちは、通常、優れたチームワーカーで、人々を一つに結びつけ、グループ内の障害を解決する能力を生まれながらに持っています。 

学ぶ必要のあること: 自分の側面を「善悪」でジャッジしてしまわないようにすること。自分自身に対しての強い好奇心を開発すること。



JUMPER(ジャンパー=ジャンプする者)

いわゆるジャンパーという魂は、ソウルファミリー全部の中で唯一の例外です。ジャンパーというのは、実は家族グループではありません。いわば宇宙の「単身者」なのです。
それによって、彼らは自分にとって興味深いソウルファミリーにしばらく加わる、あるいは訪問し、一つの人生の中で別のファミリーに移動する自由を与えられています。ただ、ジャンパーによっては、参加したいと思う特定のファミリーに長期滞在することもあります。
他方、彼らは自分がどこにも所属しないという深い感覚、さらにはしばしば自分でも理解できない孤独感を抱いています。
ジャンパーは、人生の中で突然の変化を遂げる傾向があり、一つのキャリアや環境にこだわりません。
彼らは宇宙の劇の中で、ジプシーのようなものなのです。

彼らが教えるのは、柔軟性(フレキシビリティ)と執着しないこと、です。

学ぶ必要のあること:どこにも所属しないという感覚と孤独を理解し、受け入れること。

 


ソウル・ファミリーについて、全般的なことをここでシェアします。

あなたは、一回の人生の間は、一つのソウル・ファミリーであり続けます。(ジャンパーを除いては)

(一つだけ例外的なファミリーがあります。それについてはいずれお話しします。)

次の転生では、別のファミリー(別のエネルギーのグループ)に属することもあります。

同じソウル・ファミリーの人と出会うと、すぐに「この人、知っている」という感覚と親近感を覚えます。

自分のソウル・ファミリー固有のバイブレーションを生き、それを表現することによって、あなたは自分自身とのつながりを強く感じます。

まもなく「その3」で、次のファミリーのことをお話しします。

 

ソウル・ファミリー(魂の家族)とは? - その2

ソウル・ファミリー(魂の家族)とは? - その2


このシリーズでは、私が長い年月で出会ったいろいろなソウル・ファミリーのうちのいくつかについて
お話ししていきます。それによって、ご自分がどの家族に属するのかわかってくるかもしれません。そうすると、自分への理解がより深まることでしょう。


ここで語っている各ファミリーのエネルギーの説明は、内面世界と外の世界の両方についてのことです。


MOVER(ムーヴァー=動く者、動かす者)

もしあなたがこの家族の一員であったら、あらゆるレベルで動くことの必要性を強く感じるでしょう。体を、感情を、思考を動かすことの必要性を。ムーヴァーはたいてい、そのうちの一つの分野ではほとんど動かない、という傾向があります。

私自身がこのグループに属しますが、私の場合はあえて自分を励まさないと、体を動かしません。そして体を動かさないままでいると、エネルギーレベルが急激にがくんと落ちてしまうこともあります。。。
なお、ムーヴァーたちは、他の人を動かす、という仕事も持っています。人々にインスピレーションを与え、鼓舞し、人々が内面世界や外的世界の新たな経験ができるようなお手伝いをします。ムーヴァーは「ことを動かしたい」のです。。。

学ぶ必要のあること: 自分の中で動きが不足している分野の動きを自分に与えること。他の人たちを適切に動かすことを自分に許すこと。 


Builder(ビルダー=建造者)

ゆっくりだけれども確実なエネルギー、というのがビルダーさんたちが表現するものです。あわてずあせらず、すべてについて熟考してから行動します。一軒の家を建てていく様子を思い描いてください。まず基礎を固めて、そこから徐々に一歩一歩家を作り上げていきますよね。彼らは、いったんできあがると、そこにあまりにも長くとどまってしまう傾向があります。次の家の建築に取り掛からないでいると、彼らの人生の流れは減少してしまいます。

学ぶ必要のあること: いったんできあがったら、それを手放すこと。他の人たちが彼らにとって価値があるかもしれない何かを作り上げるのを手伝うこと。



ソウル・ファミリーについて、全般的なことをここでシェアします

あなたは、一回の人生の間は、一つのソウル・ファミリーであり続けます。
(一つだけ例外的なファミリーがあります。それについてはいずれお話しします。)

次の転生では、別のファミリー(別のエネルギーのグループ)に属することもあります。

同じソウル・ファミリーの人と出会うと、すぐに「この人、知っている」という感覚と親近感を覚えます。

自分のソウル・ファミリー固有のバイブレーションを生き、それを表現することによって、あなたは自分自身とのつながりを強く感じます。


まもなく「その3」で、次のファミリーのことをお話しします。

 

 

ソウル・ファミリー(魂の家族)とは? - その1

ソウル・ファミリー(魂の家族)とは? - その1


このシリーズでは、私が長い年月で出会ったいろいろなソウル・ファミリーのうちのいくつかについて
お話ししていきます。それによって、ご自分がどの家族に属するのかわかってくるかもしれません。そうすると、自分への理解がより深まることでしょう。

ムーラムが私のところに姿を現わしたのは1985年のことですが、その当時から彼はソウル・ファミリーのことを語っていました。ひとりひとりの魂はある特定のファミリー、グループに属するということ、それぞれのファミリーがこの地球という惑星上で、固有のエネルギーを持っていることなどを、私は彼から学びました。

これまで、ムーラムはさまざまなファミリーに名称をつけ、各々の特質と学びについて説明してくれました。

それらの名称は固有のエネルギーに最も近い表現です。

 
ここで語っている各ファミリーのエネルギーの説明は、内面世界と外の世界の両方についてのことです。


では、最初のファミリーについて。


UP-STRIVER(アップ・ストライバー=上をめざし奮闘する者)

常に、より高い観点を目指して奮闘する    -  けして現状に満足しない    -  高い目的志向と成功願望 

「山の頂き」に達するまで満足しない  -  そしてすぐに次の「山頂」を目指す 

速くゴールに着きたくて、どんな脇道も避けようとする   - たいてい短気で、疲れ果てやすい

学ぶ必要のあること: 人生が与えてくれた脇道に進んでみること。脇道は往々にして貴重な経験を提供してくれ、それが長い目で見たら、
ゴールに到達する助けになってくれるから。

たとえて言うならこんな感じ: あなたは長い車の旅をしています。目的地にできる限り早く着こうとしています。休憩中に、おもしろそうな人と巡り会いました。だけど、あなたの頭にあるのは、とにかく目的地に着こうということばかりなので、話を短く切り上げます。もしかしたら、あなたは価値のある経験を逃してしまったのかもしれません・・・

 


ソウル・ファミリーについて、全般的なことをここでシェアします。

あなたは、一回の人生の間は、一つのソウル・ファミリーであり続けます。
(一つだけ例外的なファミリーがあります。それについてはいずれお話しします。)

次の転生では、別のファミリー(別のエネルギーのグループ)に属することもあります。

同じソウル・ファミリーの人と出会うと、すぐに「この人、知っている」という感覚と親近感を覚えます。

自分のソウル・ファミリー固有のバイブレーションを生き、それを表現することによって、あなたは自分自身とのつながりを強く感じます。


まもなく「その2」で、次のファミリーのことをお話しします。

 

 

第8回日本ツアーの記録

第8回日本ツアーの記録

(2016年8月26日~11月25日)

ツアーの写真はこちら  ギャラリー


日本到着の翌朝、名古屋でラジオの収録がありました。長旅と時差で疲れていましたが、ツアーのこと、私の仕事のことをお話しすることができました。

クライアントさんのお一人がそのラジオ局のパーソナリティで、私たちをご自分の番組に招いてくださったのです。始まってじきに自分がどこにいるのか、はっきり自覚できてきました。ようやく日本に戻ってきた!と。
前年のツアーから1年以上が経っていて、私はすでに日本が恋しくなっており、また新しい経験ができることを楽しみにしていました。

収録のあとまもなく、伊勢志摩に向かいました。私にとって5回目の志摩なので、家から家への移動のような気がしました。ウェリントンを発つ前の数週間はたいへん多忙で、日本に着いたら少しのんびりしたいと思っていました。志摩はそれにはパーフェクトなところです。


長年、志摩を訪れているうちに、多くのクライアントさんと親しくなっていて、コミュニティのような感覚があって居心地がよいのです。ほんとうに多くの方が親切にサポートしてくれて、中には、車を貸してくださる方までありました。車社会の志摩ではたいへん助かりました。

志摩では、ある男性のヒーリングのセッションが特に感動的でした。それまで一度もリーディングやヒーリングを受けたことがないそうでしたが、私のウェブサイトを見て強くひかれて、直感的に受けに来られたとのことでした。
ヒーリングが終わると、彼は私の腕の中で安堵の涙を流し続けました。自分に起きたことが信じられないと何度も繰り返していました。いつも「強い」冷静な自分であろうとして、泣いた記憶もないのに、と。彼にとって、それは一つの奇跡で、私は彼がそこまで胸襟を開いてくれたことに深く感動しました。彼にとっても、私にとっても、深い経験になりました。
いつも自制の効いた企業戦士の中の美しい魂が輝きだしたのでした。。。

なお、その後の鎌倉で初めての男性限定セミナーを行うことになっている、と知った彼は、遠くてもぜひ参加したいと熱心に語り、実際に鎌倉まで来てくれました。

日本の方々は一般に、遠距離をいとわずにセッションやセミナーに来てくださいます。それは素晴らしいことだと思います。ニュージーランドでは、ちょっとした距離でも思いとどまってしまうケースが多いのと比較すると、とても新鮮に感じます。

3週間のセッション、トーク(講演)、瞑想とグループヒーリングのイベントなどを終えて、ついに志摩から、私の大好きな鎌倉への移動のときが来ました。鎌倉武士としてマリカとともに過ごした過去の鎌倉での人生は、私の中で今も息づいています。彼女が今回の人生でもまた鎌倉に生まれることを選んだというのは、非常に興味深いことです。。。

今回も浄智寺に滞在してワークさせていただけました。美しい自然に囲まれた素晴らしい環境のところです。鎌倉は例年とても忙しいのですが、首都圏のクライアントさんたちがたくさん来てくださって予約は満席で、今年は最高の忙しさになりました。

ツアー中に疲労困憊に陥らないようにするのは容易ではありません。自然の中を歩いたり、温泉に浸かったりすると、少なくともいくらか休まって充電できます。時々上手な人にマッサージしてもらうのも必須です。

そうしていてもなお、私は二度、マリカは一度、疲労の極に達しました。たくさんの異なるエネルギーの方々に会ってお仕事をすると、それは避けられないことなのです。

たくさんの個人セッションに加えて、瞑想とグループヒーリングのイベントは、素敵な方々で満席でした。また、少ないながら、二人の男性が参加してくれました。セミナーなどのイベントでは、多くの場合、参加者は女性ばかりなのですが。日本では、まだまだ男性は後塵を拝しているようです。背景として、「男はかくあるべし」というような社会的な条件付けがあって、男性は自分自身のことに注意を向けにくい傾向があるのでしょう。

そのことは、男性セミナーのときにいっそう明らかになりました。セミナーでは、自分の中にある足かせになるような条件付けに気づき、それを手放すワークをしたのですが、特に「強い」と見られるためにはどうあるべきだと思っているか、ということが主要なトピックになりました。

予想通り、初の男性セミナーは少人数でしたが、とても密度の濃いものになりました。そして、女性が一人もいないということが、大きな違いをうみました。参加者みんなが、男女混合グループよりもリラックスできて気分が楽だった、という感想を述べました。女性だけのグループのときも似たようなことが起きます。「ジェンダー・プレイ(性別の意識が作用する状態)」がないと、人はより自然、自由になるのです。
私はこれからも男性グループを提供し続けるつもりです。きっとどんどん盛んになっていくだろうという確信があります。。。そしてそれによって、より平等な社会の構築に向けて、私からインプットができるだろうと思います。

浄智寺での多忙ながらも楽しい日々が終わったとき、今必要なのは休暇だと感じたので、3日間京都の素敵なホテルで過ごすことに決めました。静かで、自然にも素晴らしい寺社にも近いところです。着いてみたら、部屋がスイートにアップグレードされていました。嬉しいおもてなし…

日本的サービスと、お食事(ビュッフェ)は、言うまでもなく最高でした。

ちょうどそのとき、近くのイベント会場では、原子力産業の国際会議が行われていました。偶然というものはありませんから、それをチャンスと受け取って、このダーク・ビジネスに関わっている何百人もの参加者にできるだけの光を送ることにしました。効果のほどは明らかではありませんが、少なくとも、その状況でできる最善のインプットでした。

すっかり充電されて、次に向かうは大阪です。私はふだんはなるべくコンクリート・ジャングルは避けて通ります。でも私のガイドのムーラムにこの年のツアーの目的地について尋ねたところ、ムーラムは「大阪に行きなさい」と言ったのでした。私たちはちょっとだけしぶしぶ「彼」のアドバイスに従ったのでしたが、ことは非常に速く順調に進みました。

大阪に到着し、会場を見て私はとてもほっとしました。予想したよりずっと素敵で広かったのです。ワーク会場でもある滞在先は、オーガナイザーのナナ子さんのかわいいロミロミのスタジオで、幸いにも大都市、大阪の中では比較的静かなところにありました。

最初、予約はそれほど入っていなかったのですが、じきに次々予約が入ってきて私たちは再び忙しくなりました。日本のみなさんは、よいと思うとすぐにお友達や親戚に伝えてくださり、結局、ご家族全員がセッションに来られるというケースもよくあるのです。この「口コミ」という特質も、ニュージーランドでは、喜んで周りにシェアするより自分ひとりのうちにとどめる人が多いため、めったに見られないものです。

ある日、リーディングをしていると、突然私は波立つ海で船に乗っているような気分になりました。地震で家が揺れたのです。驚いて、ムーラムとのつながりを私はいったん切らなければなりませんでしたが、怖くはありませんでした。マリカも全く動揺していませんでしたが、クライアントさんはちょっと不安そうでした。でもそのあと数分でまたいつものように落ち着いてセッションを再開しました。

二つ目の、今度は小さな地震が起きたのは、「本当の自分に目覚めよう」のセミナーの最中でした。参加者全員が「母なる地球と繋がる」瞑想に深く入っていました。私が「母なる地球にあなたの言葉で語りかけて繋がりましょう」という趣旨のことを言って、マリカがそれを通訳して少しすると、急に電灯がわずかに揺れ始めました。私はマリカと顔を見合わせました。二人とも笑いをこらえなくてはなりませんでした。「母なる地球、即刻の応答ありがとう」と思いました。あとでわかったのですが、それは大阪府だけの局地的な地震でした。なお、ほとんどの参加者は、深い瞑想状態にあって地震だということには気づかなかったそうです。

大阪での終わりごろの、重度の障がいを持つ若い男性のヒーリングのセッションは大変感動的でした。ヒーリングをしている間に、私に突然、彼の現在の状況に繋がるはっきりとしたイメージが湧いてきました。日本人登山家、1923年吹雪の中、凍死寸前。。。私の目に涙が浮かびましたが、その過去生の経験を統合し調和を取るように、ヒーリングワークを続けました。セッション終了後、私は彼のお母さんに、見えたものを伝えました。すると「子どものころから熱いお風呂が大好きで、なかなか出ようとしないんです…」と言われました。

あとでマリカと検索をかけてみると、1923年に立山で遭難死した若い日本人登山家にたどり着きました。一枚の写真を拡大してみて、私は「この人だ」と確認できて、驚き、ドキドキしました。ご家族にそれを伝えると、みなさんはもっと驚き興奮されていました。彼は立山を、今度は家族とともに訪れてみることができます。彼の癒しのためのもうひとつの重要な局面が始まろうとしていました。。。

大阪でのワークが終わったとき、そのあとの2週間は予定が未定でした。もともとはツアーの最後には熊本で被災者の方々のために無料ヒーリングを行いたいと考えていました。でも、諸般の事情により、実現に至りませんでした。6月にニュージーランドから九州の方々に向けてお送りした無料遠隔ヒーリングで十分、ということだったのかもしれません。。。

私たちは、志摩に戻り、3日間、個人セッションをし、無料の瞑想・ヒーリングのイベントを一つ実施することに決めました。また、のんびりしたり、これまで行ったことのないところを旅してみるための時間もとることにしました。


志摩の多くの方が、人をとても惑わせるような、あるベンチャービジネスに誘い込まれていました。ムーラムのリーディングで明らかになったのは、その裏側にどんな意図があるのかということと、それが人にどういう影響を及ぼしたかでした。
ある儀式によって、ファーストアイ(額にあるチャクラ)が意図的にブロックされ、受けた方々が不安的になり、お金を吸い上げるたちのよくないシステムに操作されやすくなっていました。
日本の地方の方々は基本的に人をあまり疑わず、こうした搾取の犠牲になりやすいようです。
幸いにもムーラムは解決策を見出しました。あるシンボルがファーストアイのあたりをきれいにしてくれるということがわかったのです。
そこで、対象になる方々に無料のイベントを行ったわけです。参加者のみなさんが、浄化瞑想後すぐにすっきりしたと言われました。中には、おでこが熱い!とびっくりされている方々や、顔、手、足が熱く赤くなり、しばらくジンジンしていると言う方もありました。
みなさんが目に見えてすっきりと明るくなりましたし、たくさんの感謝のお言葉をいただいて、私たちはとても嬉しく思いました。

次の日、私は気持ちが悪く、落ち着かない気分でいました。マリカの提案でムーラムにチェックしてもらったところ、狡猾な計画を私に邪魔されて怒ったそのビジネスの「闇の王」から、エネルギー的に攻撃を受けていることがわかりました。私は過去に、そうしたダークなエネルギーには、できる限りの愛をもって対峙し近寄ることを学びました。そうしたものは、愛と光のエネルギーには耐えられず、去ってゆくのです。今回もそれで対処できました… 
日本滞在の最後の休暇には、赤目を訪れました。志摩からは車で3時間ほどの山の中です。紅葉に彩られた魔法のような世界に浸りました。14の滝を巡るハイキングコースは素晴らしく、今回のツアーの観光のハイライトになりました。

赤目は忍者で有名な伊賀にあります。私はマリカを説得して忍者体験をすることにしました。忍者の格好をし、強さとバランスを大変必要とするいくつかの修業を達成しました。とても楽しかったです。そして私たちは「中忍」の免許皆伝の証を受けました。忍者のご用命があれば承れます。素晴らしいでしょう。

そして、志摩の友人たちに別れを告げるときが来ました。
また電車の長旅をして、鎌倉に戻りました。成田から飛び立つ前に2日滞在し、追加セッションをすることになっていました。そのうちのひとつは、鎌倉武士時代の私の大好きな叔父さんのヒーリングでした。彼に会うのはいつもながらとても感動的で、私たちは互いの魂を再認識しました。かなり弱っておられるのですが、彼は私に会いヒーリングを受けることで、いつもぐっと強さを取り戻し、生き生きとします。奥さんはいつも突然のそうした変化を見て驚き喜ばれます…


11月にしては珍しい寒さと雪の朝、私たちは成田空港に向かって旅立ちました。日本を離れるのは常に悲しく切ないのですが、同時に私はニュージーランドの澄んだ空気と空、広々とした家、そして日本の人込みのあとで人口の少なさを味わうのを楽しみにしてもいました。
今、私は2017年のツアーを楽しみにしています!

 

私自身の癒し(ヒーリング)の体験

(日本文は英語の全文の下にあります。をクリックしていただくと英語の全文が出てきますので、そのあとスクロールダウンしてご覧ください。

これを読んでいただくと、「癒し」が起きるために、より深い理解というものがどれだけ重要なのかがわかると思います。

2015年12月。私の左膝に激しい痛みが出て、ほとんど歩けなくなってしまいました。
腫れあがってきて、曲げることができず、痛みに喘ぐばかりでした。原因として思い当たることといえば、その少し前に引越しのために重い荷物を運んでいるときに、ちょっとひねったことぐらいでした。。。

私のガイドのMuram(ムーラム)に見てもらって、言われたとおりに病院に行きました。ムーラムによれば、負担が減るように、膝の本格的サポーター、それに、もしかしたら松葉杖が必要だから、ということだったのです。「問題は半月板の位置がずれてしまっていることで、手術をしないで治る確率は50%。いったん腫れが引いたらフィジオセラピー(理学療法)が有効だろう」とも、ムーラムは言いました。

松葉杖生活が2週間続いたあと、私は最初のフィジオセラピーを受けました。療法士は、これは確かに半月板の問題だと言いました。病院では、(特に驚くことでもありませんが)別の診断をもらっていたのですが。。。

状態は少しずつよくなっていき、松葉杖は1本で歩けるようになりました。
ところが、今度は右膝が痛くなってきて、腫れてしまい、まったく体重をかけることができなくなりました。

左膝から右膝へのこの切り替わりは2ヶ月ほども続き、私はともすると絶望的になりました。寝る時、どの姿勢を取ってもどこかが痛む。一日中びっこを引いている・・・
理学療法はわずかな助けにしかならず、またムーラムが純粋な肉体面で与えてくれたアドバイスも状態を少しよくしただけでした。
自分で体に頻繁にセルフ・ヒーリングも施し、癒しのツールとして瞑想も使いました。
それでも、わずかな進歩しかなかったのです。

寝る前にしょっちゅう死ぬことを考えるようになりました。その前にやっておくべきことはなんだろうなどと考えて計画を練ったり、これまでの人生を振り返ったりしました。
ある晩、私は「これにはもう一つ別のレイヤー(層)がある。もしかしたら過去生のトラウマかもしれない」という強い感覚を持ちました。そうでもなければ、もうとっくによくなっているはずだし、ずっと死ぬことを考えているなんてぜんぜん自分らしくないと思ったのです。。。

そこでムーラムに尋ねてみると、「彼」は、私が第一次世界大戦時にドイツ空軍の戦闘機乗りだった人生を指摘しました。その人生のことは、私自身すでに認識していました。15年ほど前にムーラムから聞いていたのです。でもそのときは、ほんとうに詳しいことには話が及びませんでした。
私自身がすでに知っていたのは、撃墜されたけれども死にはせず、数ヶ月病院にいたことでした。今回新たにわかったことは、地面に激突したときに両脚にやけどを負い、歩けるようになるまでに長い時間がかかり、それも松葉杖をついてようやく、だったということでした。
退院はできたそうです。でもその少し後に、病院ではわからなかった、墜落時の肺の内臓損傷が原因で命を落としたということでした。
しかし、自分では目に見えぬ内臓損傷が命を落とした原因とはわからないまま肉体を離れ、その人生は、自分の目に見えた脚の負傷のために終わったのだと思い込んでしまったのでした。

だから、あんなに死ぬことを考えていたのか、と納得がいきました。
松葉杖、痛み、ちゃんと歩けない・・・そういったことが過去のトラウマを引き出し、今の自分の実態がしっかり見えなくなっていたのです。
ムーラムの「目」を通して、実際の自分の状況が見えたら、瞬く間に私は軽くなったのを感じ、痛みと絶望の雲は私から去っていきました。どれほどほっとしたことか!

その過去の妨害がもう問題でなくなったことにより、大幅な回復が起きました。
セルフ・ヒーリングのエネルギーが、今では自由に働くようになりました。
ムーラムに過去生リーディングを受けてから2週間が経ちます。今は一応痛みもなく歩けるようになりました。筋肉量がだいぶ落ちてしまったため、あせらないようにしないといけませんが、適切なエクササイズをしていけば大丈夫でしょう。できるようになるはずです。また走ったり、自転車に乗ったり、テニスをしたり、その他もろもろ、私の好きなことが。。。

 

受賞した写真

受賞した写真

ウェリントンの日本大使館で行われた写真コンテストで、私の写真が高く評価されました。

私は初めて今年の写真コンテストに参加したのですが、投票で一般部門の第一位を頂きました。
合計で3部門120枚ほどの応募作品があったのですが、日本各地の美しい写真が他にもたくさんありました。

2009年のツアーの合間の休暇中に、この山の上にある那智大社にマリカとともに
1000ほどの石段を登ってようやく着いたときのことが鮮やかに記憶によみがえります。

後ろに見える那智の滝がご神体とされ、禊も行われます。

おもしろいことに、コンテストの日本人スタッフの方は、最初これは日本でなくて中国で撮ったものだ、と確信したそうです。
後でネットで検索したら、もちろんこの大社の写真が見つかったわけです。
そうですね、こういう鮮やかな色合いは日本では珍しくて、むしろ中国でよく見られますからね。

写真がみなさんのお気に召せば幸いです。

 

 

 

 

 

 

2006年の来日について

2006年の来日について

旅に出る前、私は東京で必要なものの詳しいリストを作りました。具体的に描写したものです。望ましい宿舎とセッションルーム、どの地域か、どのようにオーガナイズするのがよいか、どのくらいセッションをするかなど、そしてメディアを通じてより多くの耳目を集められる可能性も。。。また、誰か縁のある女性に巡り会いたいとも本当に感じていたので、そのことについても詳しく書き出しました。
2年間、敢えて女性と無縁で過ごしてきていた私は、再び女性と縁を持つ準備はできたと感じていたので、リストに加えたのでした。メディテーションをする時に、私はその自分のヴィジョンをひとつひとつ詳しくみていき、それを実現させることによって感じられるであろう喜びと、できるだけ深くつながりました。そして私は、それを宇宙に送って思考からすべてを完全に手放しました。
さて、スピリットはどのようにこれに応えてくれるかな、と好奇心を抱きつつ。ChrisとElliの助けで、計画は徐々に順調に進んでいきました。二人には2005年の来日時、私のトークの一つに二人が来ていた時に会い、Elliは私の通訳になりました。私たち三人の友情は深まり、私がニュージーランドに戻る前に、二人が私の2006年の訪日でのオーガナイザーになることで意見が一致していたのです。
しかし、日本到着予定の6週間前になっても、まだ宿舎とセッションルームは決まっておらず、私は少し不安になり始めました。そんな時、Elliから電話がありました。はっきり覚えています。表参道のあたりで、素敵な家を借りられるというオファーが二人に来たというのです。
二人ともそのようなところに住みたいと何ヶ月も思っていたということでした。私たちは電話セッションで、私のガイド、Muramにこの家のことを聞いてみました。すると、この家こそ、二人が住むべきところだということがはっきりしました。既に多くの人がこの家を借りたいと申し込んでいましたし、いろいろな「障壁」があったにもかかわらず、なんとそれから2週間後には、この家の借主は彼ら二人になりました。この家は3人が住むのに十分な広さで、私の宿舎とセッションルームは期せずして同時に手に入ったのです。
そして、その場所は最初に私が視覚化した、まさしくその地域で、しかも畳の部屋がよい、という私の願いも実現したのです。私の経験では、願いに対する応えは、たいてい予期せぬ形で、また適切な「時」に返ってきます。特定の時に特定の形でそれが返ってくることを期待するのはエネルギーの浪費ですし、またがっかりさせられることが多いものです。コツは、自分にできることを全てしたら、手放して信頼することです。。。

ニュージーランドを発つ少し前に、ある映画ディレクターからメールが来ました。東京で私に会って、できれば私の活動についてのドキュメンタリーを撮りたいということでした。その時は、ちょっと漠然としているように思え、あまり重視はしていませんでした。
でも、いずれにしても彼に会ってみよう、そうしたらはっきりするだろう。もしかしたら、これがもっとメディアによる周知を、という私の願いに対する答えかもしれないから、と感じました。200を超す個人セッション、4回のトークと4回のワークショップを10週間の間に行いました。それには非常な強靭さと決意が必要でした。同時に、再び日本の人々にワークができるのは、私にとって喜びでした。
日本の人はおおむね私をとても感動させ、私のハートは容易に日本人に呼応するのです。前年の旅に比べて、全てのヒーリングプロセスがさらに早く起きるのを見て、素晴らしいと感じました。しばしば、1回のセッションだけで、大きな成果が見られました。多くの人が道を打ち開いて前進し、自分の本来の不死の魂を生まれて初めて経験することができたのです。

みなさんのそのような経験は、私にとってとてもやりがいを感じさせてくれるものであり、おかげで、過密なスケジュールをやりぬくことができました。そして、ElliとChrisがいてくれたこと。もちろんそれに与るところも大きかったのです。前述のディレクター、Tomoに会ったあと、彼の働きかけは、とても純粋な気持ちからのものであるということがはっきりしました。それでもなお、私はそのプロジェクトに対してあまり積極的にはなれませんでした。
が、そのためらいは、船井メディアのルミに会った後には、かき消えました。ルミはそのDVDを制作することに関心を持っていました。ここにおいて、私は、それが実現されようとしていること、そしてそれこそが、私の願いへの答えであるということがわかったのです。私は大いに志気が上がりました。撮影は1週間かかる見込みでした。既に多忙な私のスケジュールの妨げにならないよう、私は滞在を予定より2週間延ばすことにしました。東京を去る前日の撮影シーンを思い出します。。。今、完成したDVDを見て、このおおいなる努力はやる価値があったと思いますし、その機会が与えられたことに本当に感謝しています。このDVDは、人々にスピリチュアリティに向かう、本物の、そしてシンプルな方向を示してくれると確信します。

このプロジェクトが進んでいる間、私の身体が歯に炎症を起こしました。私の左の頬は腫れ始め、目にも明らかになっていました。その時、まだ残る数日はセッションでいっぱいでしたし、ドキュメンタリー制作の真っ最中でした。もちろん、DVDに「風船」みたいな顔で映りたくはなかった私は、腫れを引かせようと、Muramの助けを借り、できるだけのことを試しました。しかしなかなかはかばかしく引きません。時間の猶予がない状況から言ったら、回復が遅すぎました。歯科医の助けが必要と判断、治療は激痛を伴いましたが、腫れはかなり引いて、撮影が続けられるぐらいになりました。でも、私を知る人が見たら、DVDの場面によっては、私の顔がいつもとは「ちょっと違うな」と思うことでしょう。
私の身体は、私にはっきりと信号を送ってきていたわけです。私は自分が疲労困憊していることを認めなければなりませんでした。時間があくと、私は、代々木公園に赴いて、母なる地球と繋がる時間を持ちました。そのおかげで、私の身体はある程度、再充電されました。
しかし、ニュージーランドに帰国したあと、少し長期にわたってリラックスするときを持つ必要があるということもわかっていました。Marikoが初めてのセッションを受けにやってきた時、私たちはお互いに瞬間で親しみを感じました。二人とも同じソウルファミリーの出身であることがわかり、また、のちに、かつて日本で過去生を共有していたことが明らかになりました。何度か会って、より結びつきが深くなったある日、私の意識に、二人の古い物語が突然いきいきとよみがえってきたのです。その瞬間、時は消えうせました。私が見た私自身は日本の戦士で、馬にまたがっており、槍と矢に貫かれていました。身体に激痛が走ります。涙にくれながら、Marikoに自分に何が起きたのかを説明しようとしました。

彼女はすぐに、そこに「チャンネルを合わせる」ことができました。そしてわかったのは、彼女もその時私のそばにいたこと、私の命を何とか助けようと必死だったこと、しかし助けられなかった、ということでした。私たちは涙に溺れそうになりながら、二人は鎌倉で侍であり、無二の親友だったのだ、ということを思い出したのです。。。 二人の古い関係のヒーリングプロセスが始まり、また、Muramの洞察によって、全てのことがとても鮮明になりました。
そして私は、なぜ最初の来日で自分が「故郷に帰ってきた」感じがしたのか、また、なぜ鎌倉に魅かれたのかがわかりました。鎌倉は、私が2005年の初来日で、東京以外では初めて訪れた場所でした。。。スピリットは、またしても、私の願いに予期せぬ形で応えてくれました。そして私はMarikoが再び私に巡り会うために私のもとへ導かれたことに心から感謝しました。
こうしたことは全て、離日前の2週間以内に起こったことで、その間も私にはいろいろすることがあったので、私たちが一緒にいられる時間は大変限られていました。しかし、その後今までに、私たちはニュージーランドで2回会っていますし、きっとこれからも会い続けるでしょう。次は『烏の国』への私の訪問の時に。。。

 

2005年の来日について

初めて東京に来たときは大きなカルチャー・ショックを受けました。

初めて東京に来たときは大きなカルチャー・ショックを受けました。

過去6年間はニュージーランドの海辺や田舎でしか過ごさず、都会の波動は避けていました。ニュージーランドは人口がたったの400万人なので、広々しています。そして、東京に比べたらニュージーランドの都市は小さな町のようなものです。

私が東京にやって来て、少し経つと手配したもの全てがうまくいかなくなってしまいました。トーク・セッションやワークショップの会場はキャンセルされ、オーガナイザーたちと通訳も都合が悪くなり、滞在先も適していないことが発覚しました。本当にひどい状況でした。 その上、私は過去で最悪のインフルエンザにかかってしまいました。絶望していた上に疲れきってしまい、私は荷物をまとめて帰る気になっていました。

二週間と少し経った後、私のガイド、Muramや友人のCameron、そして出会った何人かの方々の助けで全てが丸く収まりました。最初の段階でうまくいっていなかったアレンジメントは全て清算される必要があったようです。そして灰から不死鳥がよみがえるように、全ては新しく生まれ変わったのです。

新しい通訳Elliは本当に素晴らしく、新しい会場も新たな滞在先も最高でした。

振り返ってみると、この体験は意志や信頼についての、とても大きな学びとなりました。
東京に来てすぐに私はたくさんの日本の人々の美しさや上品さに心打たれました。また、皆さんの私のワークに対する興味や理解力の良さを嬉しく思いました。二ヶ月の間、たくさんの方が成長、発展し、私に示していただいた感謝の気持ちに深く感動しました。
新しい友達もでき、それまでに訪れたほかのアジアの国とは違い、どんどん居心地が良くなっていきました。 東京の人々が覚醒やスピリチュアリティに対して強い興味をもっていることははっきりと分かりました。
二ヶ月の間にこれほどたくさんのセッションを行ったのは初めてで、素晴らしくもあり、また大変な挑戦でもありました。それでも、短い休みの間にCameronと東京を散策しました。
通訳と仕事をするのは初めての体験でした。Elliとはとてもうまくいき、まるで一体であるかのようによい流れで仕事ができました。

また、三日間の富士山でのヨガ・リトリートはとても楽しい体験となりました。天気が悪く、富士山は全く見られなかったのですが、コンクリート・ジャングルから離れ、再び自然と触れるのはとても良い息抜きとなりました。

最初は色々な問題があったにも関わらず、こうした経験に、私の心と魂は深く感動しました。さまざまな文化的背景をもつたくさんの人々と接し、本当に親しみを感じました。
また戻ってくることは、分かっていました。

 
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